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企業理念

麹屋三代記「錦灘酒造物語」

pic_nori麹にとりつかれた麹屋に嫁いで・・・
「麹」は日本人の生活に息づく文化。その息づかいを大切に継承したい。
-錦灘酒造代表取締役 山元紀子-

紀子社長は3代目に嫁がれ、現在、代表取締役ということですが。

はい。山元の姓は源一郎の娘である義母と結婚した義父2代目山元正明からです。

源一郎氏のことはご結婚前からご存知でしたか?

ええ。私も、もとは技術者で麹の発酵研究を職業としていました。麹の世界で祖父の話はあまりに有名です。河内菌の発見者として、そして九州に焼酎製造を根付かせてくれた恩人として。土地のものだけでなく、東京の大学や研究所の方々の間でもよくお話にでます。

祖父は役人としてこの地に赴任しましたが、麹研究に集中したいため、大蔵省を退官して「河内屋」という麹問屋を創業したのです。私も麹研究に携わる者として祖父の気持ちがとてもよくわかるのです。もっと良い品質のものをつくるために、時間を惜しんで没頭したいという気持ちはどんな研究者にも通じるものです。けれど、祖父の場合はまた別格です。常に肌身はなさずシャーレを懐に持ち歩いていたといいます。倒れるその瞬間まで麹菌のシャーレを抱えていたのです。研究者の1人として頭が下がる思いです。

日本で製造されている焼酎の約8割はこの「河内菌」を使用しているそうですが?

はい。祖父の開発したこの「河内菌」は、当時は残念ながら受け継ぐものがなく、一時は存続が危ぶまれたのですが、義父が苦心の末、再現したのです。麹造りは温度、湿度管理が命で、昼も夜も無しの作業となります。

義父は片道10kmも離れている「河内屋」に夜中でも通い、寝食を忘れ、種麹づくりに没頭したそうです。そして見事に祖父の種麹を再現することに成功したのですが、杜氏の腕や酒造メーカーによって焼酎の品質に差がですぎたのです。それを一定の品質に保つために義父正明が開発したのが、自動製麹装置です。この装置は、熟練した職人が最高の技術を駆使してつくりだす麹と同じレベルの品質を安定してつくりだす画期的なものでした。この自動製麹装置により、安定した麹菌の製造が可能になり、日本全国に焼酎ブームが巻き起こることとなりました。

こうして話してしまうと、簡単なことのようですが、義父の苦労と努力も並大抵のものではありませんでした。10年がかりでこの装置を完成させたそうですが、その根底には、祖父の開発した「河内菌」を絶やしたくない、その名前に傷をつけたくない、という強い思いがあったのです。

夫の正博は別の側面から麹にかかわっています。焼酎ブームにより大量に排出されることになった焼酎廃液を麹菌で処理しようとしています。日本中の約8割が「河内菌」2代目の努力が全国に焼酎ブームを巻き起こした。

それぞれがそれぞれの個性と発想で麹にたずさわっているということですね。

はい。親子三代それぞれが全く違う発想で麹とかかわり続けているところが私からみるととてもユニークですね。最初は電気や熱処理をこころみていたようですが、うまくいかず、結局麹を使うことで処理システム完成させたのですから。結局どこまでいっても、麹から離れられない麹屋ということなのでしょうね。

私も縁あってこちらに嫁いできましたが、麹にひきつけられたのかもしれませんね。麹は日本人の生活に息づく文化だと考えています。例えば、みそ汁、醤油、酢、漬け物、甘酒、清酒など。麹は日本人の生活に探く入り込んでいます。朝1杯のみそ汁を食卓にのせることも、麹の力を知っていた先人の知恵なのです。麹には体内の消化酵素を増やし、代謝を良くして、疲れをとる働きがあります。日本人は麹を上手に生活に取り入れ、毎日を元気にすごす方法を知っていたのです。

「麹の華」というドリンクは、その麹のパワーを凝縮したもので、体調不良や疾病にお悩みの方から好評をいただいております。これからも、麹の良さを伝えてきたい。今こうして麹に関われる仕事ができることを幸せに思います。

「河内源一郎伝説」

焼酎文化の原点はここにあり。伝統を継承しつづける錦灘酒造。

伝説の人河内源一郎氏がこの世界にかかわる前、焼酎は清酒用の黄麹で作られていました。清酒は元々冬に仕込むもので、暖かい鹿児島では黄麹を用いた醗酵がうまくいくはずがありません。この状態ではとても満足のいく焼酎ができませんでした。源一郎氏は沖縄の黒麹菌(Asp.awamori)を分離し、これを焼酎用麹として広めながら醗酵の技術指導を行い、鹿児島の風土に合った焼酎製造技術を確立しました。

源一郎氏は黒麹菌に満足することなく、、さらにクエン酸生産性等が優れた河内白麹菌(Aspergillus awamori var.kawachii)を分離し、焼酎に洗練性と多様性を加えました。これらの菌株をさらに育種しながら、焼酎醗酵技術を進化させて来たのが河内源一郎商店です。

この人なくしては、今日これほどまでに多くの人が焼酎を楽しむこともなかったでしょう。清酒やビールと並び、焼酎が全国の人々に愛飲されるようになった原点がここにあります。綿灘酒造にはその伝統と心意気が今も息づいています。この大切な文化を進化させ、とぎれることなく後世に受け継いでほしいと願います。

この人がいなければ鹿児島に焼酎という特産品はなかったかも。

鹿児島大学教授 農学博士 林國興
鹿児島大学農学部生物資源化学科
食品機能化学講座

薩摩焼酎を作る麹、アスペルギルスカワチ(白麹)は明治43年に鹿児島で生まれています。それまで芋焼酎は清酒を造る黄麹(アスペルギウスオリゼ)で作らせていましたが、杜氏の芋焼酎は造るのが難しい上、現在の焼酎に比べれば、匂いも独特で、とても香り高いとは、はめられるものではなかったようです。

アスペルギルスカワチは黒麹(アスペルギルスアワモリ)の突然変異で出来た麹菌で、河内源一郎氏が発見しました。発見者である源一郎氏の名前の一部をとり、命名されています。現在のくせがなく、まろやかで飲みやすい焼酎ができるようになったのもこの河内白麹菌の発見のおかげです。また、焼酎に「香り」という楽しみを与えたのもこの新種麹菌の功績によるものです。薩摩という土地に焼酎という文化と特産品を遺してくれた河内源1郎氏は、地元では『焼酎の神様』として、伝説の人物となっています。

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